TOP > FEATURE > FEATURE > FOCUS 01:チームキット代表取締役社長「KATO`」「AAA」デザイナー、加藤博さん
FOCUS vol.1 加藤博

今月から突如スタートする運びとなりました、新コーナー「FOCUS」。その名の通り、snazzが注目する方々に焦点を絞り、偏愛アイテムを交えながらざっくばらんにファッションの面白さを語っていただくインタビュー企画です。目まぐるしいスピードで移り変わるトレンドに翻弄されず、賢人たちの金言をヒントに自分スタンダードを模索してください!

3月末に京都の二条で催された、2011年秋冬コレクションの展示会場でインタビューを敢行。多くのバイヤーが足を運ぶ、非常に忙しい合間を縫ってお話を伺った。

イメージ画像snazz(以下s)
「KATO`」に「AAA」、この春から新たに立ち上がった「DRESS BY KATO` / AAA」、さらに来シーズンから「KATO` BASIC」がスタートするということですが、すべて加藤さんご自身がディレクションされているんですか?

加藤さん(以下敬称略)
基本的にはそうですね。ただ、レディースの「グランマ ママ ドウター」はウチの奥さんにデザインを任せていますし、ほかのスタッフを交えながら作っているブランドもあります。もともと「KATO`」を立ち上げる前からコンサルティングというか、ブランドのプロデュースみたいなことをやっていたので。

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去年の秋冬から始められた「マックレガー」の新ライン、「McG+K」もそうですもんね。ところで今回の企画が、ファッション賢者の方々の過去から現在に至るまでの服遍歴のようなものを紐解くというのが主旨としてありまして。そもそもファッションに興味を持ち始めたのはいつ頃からですか?

加藤
そうですね、自分でこういう服を着たいと思い始めたのは中学生くらいかな。当時はアイビーブームの真っ只中でしたね。もちろんインターネットがない時代で、『ポパイ』も創刊されていない頃。雑誌は『メンズクラブ』があったくらいかな。なので、情報源というとショップに行って実際の服を見るくらいしかなかった。藤井大丸によく行っていましたね。上から下の階まで、ほぼ全部アイビーのブランドだったんですよ。35年くらい前かな、食料品フロアもなかった頃。あとは友達のお兄ちゃんから、いろいろと教わっていました。音楽の情報も仕入れたりね。初めてLPを聴いたのはビートルズの『Let it be』でした。高校に上がった頃は、アイビーはもう下火になっていて、ちょうど西海岸のサーフスタイルがきたのかな。面白かったのがサーファーっぽいヤツはミナミ、そうじゃくて服が好きな専門学校生や大学生はキタと、スタイルの違いで遊ぶエリアが違っていて。格好によってクラブ、当時でいうディスコなんかも行く店が違う。ボクは波乗りを一緒にいるときはミナミ、学校の友達と会うときはキタと使い分けていました。

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確かに今の時代とは違う興味深い面白い話ですね。その10代の頃によく着ていた服というのは、どんなものでしたか?

加藤
やっぱり思春期の頃というのはアイビーが全盛だったんで、ボタンダウンのシャツとかコッパンっていってチンパンとは違う薄い生地のパンツ。それにスラックスとかかな。お兄ちゃんのお下がりを穿いている人は裾を短めに切って、スニーカーを合わせていた。あとリボンベルトも多かった。そっから二十歳前後になるとボタンダウンを一切着なくなって、「タケオキクチ」なんかのDCブームがあって。今でも強く印象に残っているのは「コム デ ギャルソン オム」の白シャツですね。ちょっと大きめのサイズ感が新鮮で、501とかジーパンに合わせていましたね。黒のシャツも当時着ていたけど、やっぱり「コム デ ギャルソン オム」といえば白ですね。さすがに当時着ていたシャツはもう持ってないけど、ウチの店(注:北山と御幸町にある[ミュージアム オブ ユア ヒストリー])で扱っていますよ。昔のとはだいぶ違うけど、雰囲気がいいのでボクもずっと着ています。特にブロードの白が好きで、洗濯機にくしゃくしゃに入れて洗ってから着る。洗っては着ての繰り返しなので、ボタンが取れたら別のものに付け替えてとにかくよく着てた。20代の前半はプレッピーが流行り始めた頃。当時、[ビームス]が提案していたアイビーをユルく崩した感じで、紺ブレの下にパーカー着たり、上から下まで一つのブランドで揃えましょうっていう時代だったけど、あえて違った毛色のアイテムを合わせたり。照れ屋さんやったから、全身同じブランドを着るのはどうも...。

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こっ恥ずかしいというか。

加藤
そうそう、そういう感じ。学校を卒業してからは、バイトしていた大阪のアパレルメーカーにそのまま就職した感じで、そこで勤めていた頃はちょうどスーパーカジュアルっていってイタリアモノのジーンズがもの凄く流行った。フランスの「マリテ+フランソワ・ジルボー」もみんな穿いてましたね。そのときにペダルプッシャーといって裾が細いジーンズが出てきて。スキニーやスリムとはまた違うんですけど、要は自転車に乗るときに足首がキュッと締まっている方が乗りやすいという感じ。当時は男の人も女の人も履いていた。後で知った話ですけど、当時のヨーロッパは関税が高くてアメリカのリーバイスが流通していなかったみたいで。それで、501をイメージしたブランドが多かったみたい。ストーンウォッシュもいろんなブランドがやっていました。ボクが働いていたメーカーも近いものを作っていたんで、よくジーパンを洗っていましたね。今考えるとダサかったけど(笑)。それが81、2年かな。その後、メーカーを退職してしばらくフリーランスのデザイナーをしていました。バブルの時代だったこともあり、いろんなブランドが声をかけてくれて。

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その当時、デザイナーとして携わられていたブランドの服は着ていたんですか?

加藤
着てなかったですね(笑)。


もちろん、今は着ていますよね? 「KATO`」や「AAA」は。

加藤
今は着てますね。歳とったからかな。インポートとか、ほかのブランドも着ますけど、自分が作っている服を着る頻度が高くなりましたね。

とまぁ、話はまだまだ続くのですが、予定を変更して前半、後半の2回に分けてアップすることに急遽決定しました。というのも、録音したテープを聞いていて、1回で全部をアップするよりもインタビューが盛り上がった分、出し惜しみしたいなと。というわけで、続きは2週間後の4月中旬に公開する予定。前半では掲載することができなかった、ファッションをエンジョイするためのメッセージもいただいています。乞うご期待! 続きはこちら

加藤さんの、ときめきメモリアルなアイテム(Part 1)

アイテム1

Helmet Bag/UNKNOWN
昔からヘルメットバッグが好きで、多くを所有しているという加藤さん。中でもこれは、かのラルフ・ローレン氏が持っていたものだそう。「直接渡されたわけじゃないけど、当時ラルフの仕事をしていたときにジーンズを作ったときのお礼としてプレゼントしてくれた」

アイテム2

SMALL COLOR SHIRTS/INDIVID UALIED SHIRTS
白シャツも好きで、写真の「インディビジュアライズドシャツ」や「KATO`」、「コム デ ギャルソン オム」など、ボタンダウンを含め20枚近くは持っているという。「知り合いの店に行くと何か買うことが多くて、そうするとつい白シャツばかりに手が伸びてしまう」

PROFILE
Hiroshi Kato

加藤 博

【チームキット代表取締役社長
「KATO`」「AAA」デザイナー】
アパレル専門学校を卒業後、レディースのカジュアルブランドの企画に携わったのがキャリアのスタート。フリーランスのデザイナーとして様々なブランドでタクトを振るい、1999年春、自身の名前を冠した「KATO`」をスタート。以降、「AAA」や機能美を追求した「パストンブルー」、レディースブランド、「グランマ ママ ドウター」を立ち上げる。関西ファッション界きっての重鎮ではあるものの、物腰が柔らかく愛嬌のあるキャラクターで、多くの業界者から慕われている。
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