TOP > FEATURE > FEATURE > FOCUS02前編:【ビームス 大阪】ディレクター、大竹 順也さん
メイン

2人目となりました、ファッション賢人たちの服遍歴に焦点を当てるフリースタイル・インタビュー企画「FOCUS」。今回お話を伺ったのは数多のメゾンブランドが並ぶ御堂筋の中でも、圧巻のラインナップと抜群の提案力で支持される[ビームス 大阪]で、ディレクターを務める大竹さん。まずは前半から、ときめきメモリアルなアイテムと併せてどうぞ!

―キャリアのスタートは、[ラピーヌ]ということですが。

「今でさえ、茶屋町にも中崎町にもいろんな店があるけど、当時はほとんど何もない時代。それで、かっぱ横丁に変わった店があるな~っとフラッと入ったのが[ラピーヌ]でした」

―その頃からファッションに興味があったわけですか?

「そうですね、なかったというとウソになります。ただ、一番初めに服に興味を持ち始めたのは中学生の頃ですかね。藤井寺にチェーン展開している衣料店があって、そこにアメカジ服がたくさん置いてあった。店内のほとんどの商品が「リーバイス」の501とサーフモノでしたけど。そこに男前のスタッフがいるということで、姉がちょくちょく通っていたようで、そのうち僕も連れて行かれて。さすがに中学生に合うサイズの服は置いてなかったけど、そこで初めて見たデニムが501でした。当時の僕にとって服は親に買い与えられるもので、自分で買うことも、自分でこれいいなと思うこともなかったから、すごく楽しかったのは憶えています」

―分かります、分かります。ファッションに興味を持ち始めた頃って、変な熱に浮かされるというか。

「そうそう。その後、高校生のときに大阪市内に引っ越して梅田や神戸に買い物に出かけるようになりました。三宮や元町の高架下で、新品の「リーバイス」501やアメリカ製のオールスターなんかを買っていましたね」

―わざわざ大阪から神戸まで行かれていたんですね。アメ村ではなく。

「そうですね、当時のアメ村はフリーマーケットが街中で催されている印象が強くて。高校の頃は古着屋に行っていなかったので、アメ村の面白さが分からなかったというか。なので、神戸を一人でフラフラしていることが多かった(笑)。特に高架下は端から端までズラッと店が並んでいるから、(商品を見て取るのが)とにかくラクだったんですよ。当時は服の良し悪しなんてまだ分からなかったから、親父のネルシャツにパーカーを着たりしていましたね」

―今は雑誌もwebもあって情報過多の時代です。当時はどうやってファッションの情報を得ていたんですか?

「確かに雑誌もそんなにない頃でしたね。それに周りの友人、先輩はヤンキーが多かったんで(笑)、特に身近な人からも影響を受けていないんです。そういえば、私服の高校に通っていたんですけど、服を選んだりすることが面倒くさかったから別の高校に通っていた友達からもらった学ランを着て行っていました。当然、周りは私服なので、かなり浮いていましたね(笑)。そう考えると、高校生の頃はあまりファッションにのめり込んでなかったかもしれないですね」

―私服で通える学校なのに、わざわざ制服で通うということは、確かにそうなのかもしれませんね(笑)。自分の周りにも私立の高校に私服で通っている友人がいましたが、バイト代のすべてをファッションに注ぎ込んでいるヤツもいて。いろんな情報を知っていたし、お洒落で早熟だった記憶があります。

「(服に気を使うようになったのは)やっぱり[ラピーヌ]で働いていた頃ですね。山根さん(※1)や辻田さん(※2)たち先輩から影響を受けて」

※1  現「エヴィス」の代表兼デザイナー、山根英彦氏。
1991年に誕生。
※2  現「フルカウント」の代表兼デザイナー、辻田幹晴氏。
1992年より創業。

―相当に濃い方々と一緒に働かれていたんですね。

「僕が入った20年くらい前は山根さんが企画、辻田さんが営業をされていて、塩谷さん(※3)がお客さんとして来られていて。ちなみに僕自身、[ラピーヌ]のお客さんだったかというとそうではなくて、たまたま店に行ったときにバイトを募集していたんで、その場で「雇ってください!」って申し込みました。きっと当時、予備校に通って勉強することに息詰まっていたんでしょう」

※3  現「ウエアハウス」の代表兼デザイナー、塩谷健一氏。
1995年にブランドを創設。

―先輩方から影響を受けたとおっしゃっていましたが、具体的にはどういう。

「実際、山根さんと一緒に働かせてもらったのは一ヶ月間くらいでした。辞められてすぐに[エヴィス]を立ち上げられて。辻田さんも、そのときに一緒に働いていた店長も[エヴィス]に行って、しばらくしてから『お前も来いよ』って誘ってくれたんですけど、お断りました。というのも、[エヴィス]のジーンズがあまりにも似合わなくて(笑)。今は多くのモデルを展開されていますけど、当時はボンタンを思わせる独特のシルエットで。ただ、山根さんには一緒に働いていた頃に高架下のどこどこにあるジャケットがカッコいいとか、そういった情報を教えてもらう機会が多かったですね。スタイルをそのまま真似るとかではなく。それでカジュアルの店だけでなく、スーツやドレスシャツを置いている店も行ったりしていましたね」

―そうだったんですね。当時はどういった格好をされていたんですか? 先ほど話されていた501にシャツ、ジャケットとか?

「いや、ジャケットやブレザーは大きいサイズしかなかったんでブカブカでしたね。痩せていたから、中にスウェットを着込まないとジャケットが着られなくて。だから、たまに[ラピーヌ]に入ってくるアイビーっぽいデザインのレディースサイズくらい。それでもジャケットは好きだったので、古着で自分に合うサイズを探したりして。シャツの上にジャケットを羽織り、パンツはデニムを合わせる。そんなスタイルが昔から好きなんですけど、そう考えたら無意識のうちに山根さんの影響を受けているかもしれません。20年ほど、あまり変わっていませんね」

―ちなみに、[ラピーヌ]はどれくらい働かれたんですか?

「ちょうど1年です。19歳でバイトし始めて二十歳の頃には[ビームス]に入っていましたから。[ビームス]の社歴でいうと今年で19年になるのかな。実はビッグステップに[ビームス 大阪]ができる前に一度辞めているんですよ。もう15、6年前ですかね。一年ほど、山根さんが手掛けているスーツ屋の店長をしたり、梅田の東通りにあるライブハウスを兼ねたバーで働いていたり。夜遊びというか、人と会うことが好きだったので、服屋を離れていた頃も周りの人とは常に繋がっていましたね。結局、[エヴィス]のスーツ部門とバーで、それぞれ半年くらい働いてビッグステップに[ビームス]がオープンするタイミングで戻りました。24、5歳の頃ですね」

―当時の服装はどんな感じだったんですか?

「ずっと変わってないですよ。基本的にジャケットはずっと着ていました。雑貨担当の頃はカジュアル寄りだったり、[ビームス 大阪]がビッグステップにあった頃に、レディース以外の全セクションを担当していたこともあり、毎日スーツを着る日もありました。スーツのときは迷彩柄のネクタイをチョイスするので、周りからは『気持ち悪い』とか言われていますね(笑)。「ロロピアーナ」の黒のジャケットにカモフラの軍パン穿いて、インナーは「フレンチラコステ」のターコイズや黄緑、素足に「プロケッズ」のスリッポンとかが好きでしたね。今だと白のスニーカーといえば「レペット」を選ぶんでしょうけど、当時はまだなかったし、細くてシュッと見える白スニーカーは「プロケッズ」のスリッポンくらい。それに501とかを合わせる。そういえば、どこかのブランドの広告の写真で、丈の短い501に「レペット」を合わせているのを見たことがあるんですけど、自分も同じようなスタイルだなと思ったことがあって。要は自分がカッコいいと思う、自分が好きだと思えるスタイルは間違えてないんだなと」

ここでvol.1が終了です。別に前後半に分けなくてもいいんですが、ひと月に一人ということもあって、もったいぶって2回アップしたいなと。ただそれだけです...。
そんなわけで、vol2の更新は5月23日の予定。それまで、毎日アップしているスナップを是非チェックしてください。あと、よければsnazz編集部の女子スタッフのアメブロも(http://snazz.jp/feature/2011/01/snazz-1.php)もチェックしてやってください。

大竹さんの、ときめきメモリアルなアイテムvol.1

アイテム1

WORK BOOTS/ALDEN
アメリカ製レザーシューズの最高峰「オールデン」の、クレープソールを使用したワークブーツ。「かれこれ10年ほどの付き合い。ドレスシューズを含めた、いわゆる短靴をあまり履かないこともあって、カジュアルだけでなくスーツにもコーディネートしています」

アイテム2

BAKER PANTS/DEAD STOCK
[ビームス 大阪]で働き始めた頃に購入したデッドストックのベイカーパンツ。「買ったものの、太めの軍パンは体型的に違うなと思っていて全然穿いてなかった。バランスをすごく意識するようにしているので、最近になってようやく穿けるようになりましたね」

 
アイテム2

PULLOVER SHIRTS/LAPINE
20年近く前、[ラピーヌ]で勤務していた頃に買ったプルオーバーのチェックシャツ。まだオリジナルアイテムの展開が始まる前のもので、山根さんが企画した一枚。「当時はきれいな襟のシャツって結構珍しくて。僕が初めて買った"ちゃんとしたシャツ"がこれですね」

PROFILE
Junya Otake

大竹 順也 【ビームス 大阪】ディレクター

大阪生まれ大阪育ち。10代後半の頃に始めた、関西のセレクトショップの走りである[ラピーヌ]でのアルバイト勤務がキャリアの原点。その後、二十歳で[ビームス 大阪]に入社。20年近くの社歴を重ねている現在も、スタッフの育成に注力する傍らショップに立ち、幅広い年齢層の顧客にファッションの奥深さを伝える。
OFFICIAL WEB SITEへ
OLD NUMBERS
FOCUS01 加藤博さんFOCUSへ