TOP > FEATURE > FEATURE > FOCUS04前編:【[乱痴気]代表】、前川拓史さん
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93年のオープン以来、地元・神戸はおろか関西を代表するリーディングショップとして街に根差し、さらに渋谷にある東京店も目の肥えた服好きに支持される[乱痴気]。今回のFOUSは[乱痴気]の代表であり、バイイングや商品企画に携わる前川拓史さんにお話しをお伺いしました。[乱痴気]立ち上げ以前の知る人ぞ知る貴重なお話から今後の展望まで、1時間半に渡る一対一のフリースタイル・インタビュー、いつも通り前編からどうぞ!

―普段、雑誌の仕事でちょくちょくお会いする機会はありましたが、こうやってオフィスにお伺いしてしっかりとお話を聞くことがなかったので、なんだか緊張します。では早速ですが、ファッションはいつ頃から好きだったんですか?

「高校生の頃からですね。あまり勉強の得意じゃない生徒が集まってくる高校だったんで(笑)、周りはパンチパーマや先が尖った靴を履いていたりして、古着やインポート物に興味を持っているのは僕くらいでした。コンバースや[ロボット](※1)のラバーソールを買って、よく履いていましたね。当時の情報源ですか? 雑誌でいうと『doll』とか『宝島』ですかね。『ホットドッグ』や『ポパイ』(※2)もあったけど、当時からストリートカルチャーが好きで、ブランドの話よりもロンドンのパンクやニューウェーブに興味があったので『宝島』、『doll』がバイブルでしたね。その当時、服を買いに行くとなると、高架下か神戸アメリカ村と呼ばれていたセンタープラザしかなくてね」

※1  [ロボット]
東京の渋谷にあるセレクトショップ[アストアロボット]のこと。「セディショナリーズ」や「ワールズエンド」を展開するなど、オープン当時からエクストリームな服好きたちが足しげく通う。
※2  『doll』、『宝島』、『ホットドッグ』、『ポパイ』
70年代中頃から80年代に新創刊された雑誌。この内、パンク雑誌『doll』とファッション&カルチャー誌『ホットドッグ・プレス』は現在廃刊となっており、『宝島』と『ポパイ』は何度かのリニューアルを経て刊行されている。
―前川さんが高校生の頃は、トアウエストはまだ栄えてなかったんですね。

「そうそう、トアウエストも旧居留地もまだ何もない頃。それで、神戸アメリカ村に高校生の頃から通い出して、服好きの友達が卒業してから、そこにある店で働き出すようになって。僕は高校を出てから宮崎の大学に行ったんですけど、洋服が好きだったので県内に唯一あった古着屋でアルバイトをしていました。春休みとか夏休みはこっちに帰ってきて、当時、神戸アメリカ村にあった[ノックアウト](※3)でバイトをしていて。その頃、片山社長が店頭に立っていて、ある日、買い物に行ったときに『明日、店の壁にペンキ塗るから来てくれへん?』って感じで。朝から晩までペンキ塗りを手伝って、アメリカで買って来られたVANSのトートバッグとかを『これお礼の代わり。持って帰り』って言ってくれて。それがバイトをするきっかけになりました」

※3  [ノックアウト]
1984年創業。当時はアメリカ買い付けのアイテムのみを販売していたが、現在は店舗によって新品と古着の割合が異なるが、時代を超えて愛されるアメカジアイテムを扱う。神戸、姫路、大阪に8店舗を展開。
―へ~、そうだったんですね。もともとは[ノックアウト]で短期バイトをされていたんですね。

「それで大学3回生のときの夏休みに、語学留学で初めてアメリカに行ったんですよ。シアトルに。80年代後半だったんですが、グランジスタイル、それこそニルヴァーナとかが出てくるちょっと前で、アメリカ全体がすごく盛り上がっている感じが分かって毎日がすごく楽しくて。街を歩いている人たちも、モヒカンで鋲のジャケットを着ている人もいれば、ネルシャツにバンドT、ショーツにスニーカーといったカッコいいスケーターもいて。僕も音楽が好きで、だんだんそういうスタッズ打ったジャケット着たりして、アメリカンハードコアなスタイルに興味が出てきました。当時はスラッシャーって言ってたんかな。とにかく、アメリカが一番面白かった時期をリアルタイムで体験できた。サマースクールが終わってからブロードウェイストリートに行って、スケートや音楽をやっている人たち、今でいうスクワッターと呼ばれる人かな。その人らと仲良くなって一緒にスケートしたりしていましたね。そのときに買ったスケボーやTシャツは今でも大切に置いてありますよ」

―実際にシアトルに行ったことがないので、あくまで映画や本で知った世界ですけど、前川さんのお話を聞いて何となく街の空気感のようなものが頭に思い浮かびます。

「バブル真っ只中のときに大学の卒業を迎えたんですけど、その頃に大阪で花博があったり、観葉植物が流行ったりで、園芸関係の仕事が引く手数多だったんです。面接に行ったら、『これ小遣いや、足代に取っとき』ってお金を渡されるような超バブル時代。もともと服が好きっていうのと、さっきのアメリカ留学の体験もあって、すぐに服の仕事に就きたかったんですが、ごく普通の公務員の家庭で生まれ育ち、それに大学を卒業したら一般の企業に就職するのが当たり前の時代で。4年間、親に宮崎で一人暮らしさせてもらったこともあって、植木を管理する会社に就職しました。ただ、ゴールデンウィークが明けた頃には、どうしても服の仕事がしたい、またアメリカに行きたという気持ちが沸々と湧いてきて。その上、[ノックアウト]の片山社長からアメリカに買い付けに行ったときの土産話を聞かせてもらったり、荷物がいっぱい詰め込まれた巨大なダッフルバッグを開けたら古着やらスニーカーやらスケボーやらが出てくる瞬間を間近で見せてもらったりして憧れが日ごとに増していきました。結局、植木の会社は2ヶ月ほどで退職しました」


今回、お話を伺ったオフィスの上階にある社長室には、前川さんの人となりが垣間見られる本棚が。デビルマンのフィギュア、パンクバンドのCDやDVD、昭和のマンガ雑誌やコミックなどを収納。本文にも出てきたアメリカ留学の際に購入したスケートボードもここに。

―それから[ノックアウト]で働かれるようになったわけですね。何年ほど勤められていたんですか? あとその当時はどういったスタイルを好まれていたんですか?


「バイトを含めて5年くらい。結構短いんですよ。当時は、リーゼントにエンジニアブーツ履いてっていうコテコテの感じが全盛やったかな。その頃の[ノックアウト]も、ギャバジャンを売っていたり、リーゼントの人らが集団で買い物に来たり、そういうイメージがありましたね。僕はさっき話したようなネルシャツにバンドT、ショーツにスニーカー。それとアウトドアスタイルですね。90年代の初めだったんで、「パタゴニア」とかに興味があって。「グラミチ」なんかは、神戸では僕らが一番初めにアメリカから持って帰っていたと思います。[フットロッカー]別注(※4)のナイキのスニーカーとか、古着以外の新品もイチ早く日本に持って帰って販売していた」

※4  フットロッカー別注
アメリカ発のスニーカーショップ。「ナイキ」や「リーボック」といったインラインの充実ぶりもさることながら、シーズンレスでリリースされる別注モデルがスニーカーフリークの話題を集める。

―5年の間に、いろいろとご経験されたわけですね。では、[乱痴気]を立ち上げようといった構想はいつ頃からあったんですか?

「ん~、やっぱり古着がヴィンテージと呼ばれるようになった頃ですかね。初めはヴィンテージなんて言葉はなくて、オールドって呼んでいた。それがヴィンテージになって、アメリカのフリーマーケットに行っても『よっしゃ、こんな面白いもん見つけた!』っていう手応えのようなものが数年前よりも薄れてきていたんです。(「リーバイス」の)1stであろうが3rdであろうが、Gジャンは同じ値段で買えていたものが、1stは500ドルとか1000ドルになって、アメリカ人も日本人は多少高くても買うということが分かったから高騰する一方で。そういう流れは面白くないなと。たとえば何万もする「リーバイス」のXXと1stを上下で揃えてさえいれば、ほかのアイテムは何でもありみたいな風潮になってきていて。それならストアブランドのブリーチデニムとか、穴の開いたボロボロのやつが15ドルで買えるから、これをカッコよくファッションとして提案した方がよっぽど面白いんじゃないかって考えるようになったんです。たとえ安くてもカッコいいとか面白いとか、自分自身でそう思える服を提案したかった。だったら自分で店をやるしかないなと、25、6歳のときに片山社長に相談して独立しました。アメリカもそうですし、東京にも仕入れで頻繁に行っていて、カッコいいなと憧れるお店をいろいろと見ていたんですね。アメリカだと[アメリカンラグ]、東京だと[プロペラ]や[ハリウッドランチマーケット]、[ネペンテス]など、それぞれの街並みになじんだ外観や、服だけじゃなく内装にもこだわった店が出きてきた頃だったんで。そういったショップを神戸で作りたくて。街の中心からちょっと離れた場所でもいいから、どこにもない商品構成で、わざわざ足を運びたくなるような店。それに高架下とセンター街の一辺倒というのも面白くなかったんでね。それで93年の10月、当時はおばちゃん一人がやっている古着屋と中華料理屋くらいしかなかったトアウエストに[乱痴気]をオープンしました」

―なぜ、トアウエストに目を付けられたんですか? 今おっしゃった街の中心から離れた場所ということであれば、ほかにもあるんじゃないかと。

「元町の駅から近いっていうのと、やっぱり雰囲気がよかったんですよ。喫茶店があって散髪屋があって、それにお好み焼き屋があってという下町だったんで。元コー(元町高架下)は違うなぁとか、栄町や北野、新開地も見に行ったけど、トアウエストが一番しっくりきた」

盛り上がってきたところで申し訳ありませんが、93年に[乱痴気]がオープンしたところで前編終了です。阪神淡路大震災を経て、2号店が同じくトアウエストに、3号店が栄町に、そして4店舗目が北野坂に立て続けにオープンし、それに伴い取り扱いブランドも増加する一方と、その後の展開は関西の服好きなら周知のとおり。今回は前川さん自らが語る[乱痴気]創業までのヒストリーみたいな感じでしたが、25日(月)にアップ予定の後編では、今後の"仕掛け"やセレクトショップの在り方などを掲載します。関西の、いや全国の[乱痴気]ファンの方、そして「最近、面白い店がない」とか「どのショップがいいか分からない」といった迷えるsnazzユーザーの方、必見です!

前川さんの、ときめきメモリアルなアイテムvol.1

NAVY BLAZER/USED

COVERALL/HOGGS
[乱痴気]創業当初に店頭でも販売していて購入した、[ネペンテス]のオリジナル「ホッグス」のカバーオール。「当時から天の邪鬼で、フツーの迷彩が好きじゃなくて。これはカモフラやけど赤を使っているのがいい。街の迷彩って雰囲気が好きで、今でも着てますよ」

TRENCH COAT/UK ARMY

T-SHIRT/VARIETY
メモリアルTを厳選。左はアメリカ留学していた87年にアキューズドのライブ会場で購入。中央は永井豪の『バイオレンスジャック』、右は国内外のバンドのフライヤーなどを手掛け、[乱痴気]のロゴも担当した広島のグラフィックデザイナーのSUGI氏のTシャツ。

T-SHIRT/UK ARMY

LEATHER SHOES/Hender Scheme
スニーカー史に燦然と輝くあの名作をモチーフに、上質なヌメ革を使用して仕上げられた「エンダースキーマ」のレザーシューズ。「スタンダードなアイテムのカッコよさを分かった上での新しい表現に惹かれました。あえてトラッドなスタイルに合わせたいですね」

PROFILE
Takuji Maekawa

前川拓史さん

【株式会社ワークトゥギャザーロックトゥギャザー [乱痴気]代表】

生まれも育ちも、飲むも食べるも神戸。地元の高校を出た後、九州の大学に進学。卒業後、園芸関係の企業に就職するも、数ヶ月で退職。高校時代から足しげく通っていたユーズドショップ[ノックアウト]に入り、5年間、買い付けや接客のイロハを学ぶ。93年10月、トアウエストに[乱痴気]をオープン。18年の間に移転や店舗拡大などを経て、現在は神戸に3店舗、大阪と東京に1店舗ずつを展開する。自社ブランドのプロデュース、アニメやプロ野球球団、本拠地である兵庫の地場産業とのコラボレートなど、社長業と同時に現在も多くのプロダクトを仕掛ける。

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